結成10年を超え、世代問わず多くの人に聴かれているミセスグリーンアップル。
再生数億越え連発で、その楽曲をすべて作っているのが大森元貴さんです。
そんな大森元貴さんの身長・体重・年齢等のプロフィール、経歴を徹底解説します。
- 大森元貴の身長・体重・年齢等プロフィール
- 大森元貴の学歴
- 大森元貴の出身地
- 大森元貴の音楽経歴
これらについてみていきましょう。
大森元貴の身長・体重・年齢等プロフィール
- 名前:大森元貴(おおもりもとき)
- 生年月日:1996年9月14日
- 年齢:28歳(2024年11月現在)
- 出身地:東京都西東京市
- 血液型:A型
- 身長:168vm
- 体重:非公表
- 兄弟:兄2人(14歳上と7歳上)
- 所属:Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)
- 担当楽器:ボーカル/ギター
身長体重は非公表ですが、身長は168㎝と思われます。
体重についてはパッと見たところ増減があるように見えますが、標準体重である62.1kgぐらいで上下しているのではないでしょうか。
大森元貴の学歴は?
大森元貴さんは、音楽活動することを考えて通信制の高校を選んでいますが、高校名は分かっていません。
大学に進学もしていません。
中学生の時、友達が話していることの何がおもしろいのかわからなくて、学校に行けずに哲学の本を読んでいたといいます。
友達と違うと感じるのは、思春期の子にとっては辛かったことでしょう。
ずっと音楽がやりたかったというのです。
やさしい哲学の本を読んでいたということですが、そのことが、大森元貴さんの豊かな歌詞の世界に現れているのでしょうね。
通信制の高校を選んだ理由がわかりますね。
大森元貴の出身地はどこ?
大森元貴さんの出身地は東京都西東京市田無です。
元は田無市でしたが、2001年に保谷市と合併して西東京市になりました。
2016年放送のマツコ・デラックスさんの番組『夜の街を徘徊する』で、西東京市田無でロケした時に、地元出身のアーティストとしてミセスグリーンアップルが紹介されたことで有名になりました。
東京出身は大森元貴さんと若井滉斗さんで、2人は中学校の同級生ということですので、大森元貴さんは西東京市田無の出身ということですね。
その中学校は田無四中ではないかと言われています。
また、2023年6月に出演した番組『Aスタジオ⁺』で、大森元貴さんが「現在も実家で楽曲制作をしている」と話したことから、西東京市田無にファンの注目が集まっています。
今も実家に住んでいるということでしょうか。
大森元貴の経歴
大森元貴さんの音楽の経歴をみていきましょう。
小学生 | ベース、曲作りを始める |
小学校卒業式謝恩会 | 初ライブ |
中学生 | 独学でパソコンで曲作り |
修学旅行 | 若井滉斗と同じ班になり意気投合 |
修学旅行後(2012年) | 若井滉斗とバンドを組む |
2013年 | ミセスグリーンアップル結成 |
2015年 | メジャーデビュー |
2020年 | フェーズ1完結を宣言し活動休止を発表 |
2021年 | 山中綾華と髙野清宗の脱退を発表 |
2021年 | ソロデビュー・絵本『メメント・モリ』発売 |
2022年 | フェーズ2開幕 |
2023年 | ドームライブ・日本レコード大賞・紅白歌合戦 |
2024年 | スタジアムツアー・ライブの映画公開・再生数歴代1位 |
小学生で作曲
もともと、幼少期から歌ったり踊ったりは好きだったという大森元貴さんですが、鼻歌交じり曲を作るようになったのは小学生の時からです。
最初に手にした楽器はベースでした。
小学校6年生の時の卒業式の謝恩会では、同級生や先生とバンドを組んでパフォーマンスしたといいます。
自分の得意なものがなくて、承認欲求を満たせなくて悶々とし、「自分は何?」と考えていました。
そんな時に家の中でいろいろな妄想をし、兄の聞いていたMONGOL800をきっかけにバンドを知り、コピーしながら自分でも作ってみて、披露したら褒められて、すごいスピードで進化していきました。
最初に作ったオリジナル曲は「僕が君だけのヒーローだったら」というようなことを歌っていたといいます。
この初披露の頃からすでに、音楽を職業にしていこうと思っていて、卒業文集の将来の夢を音楽家と書いていました。
2018年4月に発売した3枚目のアルバム『ENSEMBLE』に収録されている『はじまり』には、その1部を引用しているということです。
中学校でメンバー若井滉斗と出会う
中学の同級生でしたが、大森元貴さんはサッカー部でクラスの中心にいた若井滉斗さんが苦手だったといいます。
修学旅行で同じ班になって意気統合し、一緒のスタジオに入ってみたら楽しかったのでした。
中学時代は兄の影響で、ONE OK ROCKやRADWIMPSを聞いていて、特に音楽が詳しかったわけではないといいます。
中1からパソコンを使って作曲を始めていますが、大森元貴さんは、音楽に関することすべてを独学で身に着けていきました。
パソコンの使い方、レコーディングの方法、作曲のノウハウ、すべて独学でした。
コードを知るためにギターも始め、他の楽器もできた方が良いだろうと、キーボードとドラム始めたといいます。
中1からは事務所の所属し、ライブハウスで弾き語りをすることもありました。
弾き語りで曲は作っていたけど、できあがった曲はバンドサウンドになっていました。
前述のとおり、同級生との隔たりを感じ、音楽をやりたい思いも強く、半分ぐらいしか学校に行くことができなかった大森元貴さんは、そんな自分に劣等感を持っていたといいます。
高校生でミセスグリーンアップル結成
ミセスグリーンアップルは、結成の時からメジャーデビューを意識していたといいます。
プロとしてバンドをやっていくにあたり、メンバーは5人で、男のコだけじゃないというイメージが心のどこかでありました。それに「自分と同い年で、熱量やモチベーションが同じ子なんて絶対にいない!」とまで考えていたので、年齢もバラバラがいいと思っていました。
引用元 CREA WEB
同じ事務所に所属していた藤澤涼架(キーボード)さん、山中綾華(ドラム)に声をかけましたが、演奏は見ずにひとがらで決めたのでした。
もう1人、ベースは前任がやめたタイミングのオーディションで、バランスの取れる人として、決まったのでした。
若井滉斗さんとは中学校卒業の時点でバンドを解散して、別々の高校でしたが、再会した時にもう一度一緒にやりたいという思いがあって、誘ったといいます。
最年少である自分が曲を作っているので、アンバランスにならにように、リーダーを任せました。
ファミレスでグループ名を話し合っていて、誰かが言ったグリーンアップルに、中性的な意味でミセスとつけました。
すでにミセスと略されることまで考えていました。
人に認められるのはどうしたらいいかを考えて活動していたといいます。
高校生のバンドがそういう視点で曲を作っていたというのはすごいですね。
間口の広さを掲げることと奥行きを作ることの両方が必要なことと考えていて、それが大衆性だと思っています。
いろんな場所に出てたり、売れる大衆性ではなくて、自分自身と対峙して、表現という孤独と闘っていくという、ドキュメンタリー性との両軸が成立するということを理想の大衆性と考えているといいます。
『ダンスホール』や『青と夏』のようなポップな曲と『Soranji』のような深い意味のある曲、ということでしょうか。
それがミセスグリーンアップルの魅力になっていますね。
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まとめ
ミセスグリーンアップル大森元貴の身長・体重・年齢等プロフィールや経歴を徹底解説しました。
- 大森元貴の身長は168㎝、体重は非公表、年齢は28歳です。
- 大森元貴の学歴は、高校卒業で、通信制を卒業しています。
- 大森元貴の出身地は、東京都西東京市田無です。
- 大森元貴の音楽経歴は、小学生から曲を作りはじめ、高校生でミセスグリーンアップルを結成しています。
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